〜〜〜  松 山 ・ 面河渓&松山城&興居島ぶらり旅  〜〜〜 
≪ 平成30年10月19日(金)〜21日(日) ≫


≪ 10月19日(金) ≫
 

 今日から3日間、松山ぶらり旅にでかける。

 松山までは、小倉からの夜行フェリーを利用し、現地ではレンタカーで行動する。

 16時過ぎに自宅を出発、博多駅で
松山の旅友へのおみやげを購入して、新幹線で小倉へ。
 フェリーの出発時間が21時55分と遅いので、小倉駅構内にある居酒屋で時間をつぶす。
  
 コンビニで明日の朝食を調達して、21時前にフェリー乗り場へ。
 チケットはシニア割で購入する。船室のみでなく、寝る場所まで指定されていた。

 フェリーに乗りこんで、指定の場所で横になり、しばらくは四国への思い出に浸る。

 四国へは、学生時代に「ユースホステルを利用しての四国一周旅」を経験し、結婚してからは、女房とドライブ旅にも行った。この時は、やたら高速料金が高かったのを思い出す。
 焼酎の効果もあって、間もなく心地よい睡魔に襲われ、深い眠りについた。



≪ 10月20日(土) ≫


 5時、予定より少し早くフェリーは松山観光港へ入港した。
 時間が早いので、6時半まで船内で待機する。ここで朝食も済ませた。

 6時半過ぎに下船、レンタカー会社の担当者が来るのを待つ。7時半の予約である。
 7時半過ぎに手続きを済ませて出発、まずは石槌山の登山口である土小屋を目指す。
  
 石槌スカイラインは、高度を上げるに伴って、紅葉が見頃になってきたが、ガスも濃くなってきた。
 10時10分に土小屋着、ガスが立ち込めている。予報ではこれから更に天候は悪化するとのこと。

 しばらく様子を見るもガスが晴れないので、登山は諦め、面河渓散策に切り替えることとした。

 また来た道を戻り、駐車場に車を止めて、遊歩道の散策タイムである。
 さわやかな秋の気配の中、ここでは時間がゆったりと流れている。
 軽やかな渓流の音を聞きながら、遊歩道を歩いていく。紅葉にはまだ早かった。
 やがて車道に出たので、ここで一旦車に戻り、五色河原にて車を止める。

 面河渓ではこの五色河原辺りが最も絶景の場所であろう。

 花崗岩の白い平らな岩場の上に座り込んで、昼食とする。
 自然が織りなす驚異の絶景を眺めながらのリッチな食事タイムである。

 しばらく岩場を楽しんで、車を駐車した方向へ戻り、途中の茶店に立ち寄る。
 ここで、ぜんざいを食べる。店内には外国人の観光客も多かった。

 面河渓山岳博物館にも立ち寄る。ここでもシニア割で半額で入場できた。
 ここには、石鎚山や面河渓がどのようにして出来たのかや、そこに住む生物や山岳信仰、登山史などが詳しく紹介されていた。

 明日は旅友との約束もあるし、せっかく松山に来たので松山城にも立ち寄りたい。よって、今回は石槌山登山は諦めて、ここから松山に戻る。

 松山駅前のホテルに宿泊し、近くの中華店にて軽く夕食を済ませる。
 
 今日は、一日ドライブ旅で少々疲れた。 
 

 

≪ 10月21日(日) ≫

 
 5時に起きる。
 ベッドに横になったまま、しばらくはテレビを見ている。

 6時前に起きだし、洗面等をすませて朝の散歩にでかける。

 松山駅に出て、観光パンフや市電の路線図を確認し、コンビニで朝食を調達してホテルの部屋に戻る。

 8時にホテルを出発、フロントに荷物を預け、市電にて松山城へ。

 松山城へはリフトで登っていく。学生時代に来たときはロープウェイで登ったのを懐かしく思い出す。既に半世紀以上昔となってしまった。

 松山城は加藤嘉明が1602年1月15日に築城を開始したもので、この日を開城記念日として色々な催しが開催されているが、今は築城400年記念祭が開催されている。

 天守閣まで登って、松山市内を一望する。今日はすっきりとした青空で、遠くまで見晴らしが効く。 

 天守閣から降りて歩いていると、武者姿体験(これも開城400年記念)というのがあった。案内板を見ると、体験コーナーとあって、無料サービスとのこと。誰もいなかったので、体験することとする。

 5分以上かかって、鎧を身に着け、兜をかぶって、写真に撮ってもらう。
 ここまで来て、いい記念になったようだ。

 松山城から松山駅前に戻り、ホテルにて預けていた荷物を受け取って、伊予鉄道高浜線で高浜港に向かう。
 
 11時半前に高浜に着いた。高浜はさびれた町で、港は駅のすぐ前であった。コインロッカーに荷物を預ける。
 暖簾が下がった店が1軒あったので、ここに入る。ふと「孤独のグルメ」が頭をよぎる。

 メニューは定番の麺類や丼物であった。最も味に問題がなさそうな「やきそば」を食べて店を出る。

 12時25分発で興居島へ。
 興居島は、面積8.76平方キロで、人口は千人を少し越える程度の島である。

 港には山内姉妹が出迎えてくれていた。この山内姉妹は、カリブ海クルーズ旅での同行者である。

 小富士山への登山道を確認して、山内宅へ。 
 海沿いの絶景の場所に山内宅はあった。対岸のはるかかなたに松山城も見えている。

 しばらくは近況報告から、旅の話で盛り上がる。山内姉妹は、今度は飛鳥クルーズ旅を予定しているとのこと。
 山内姉妹のお姉さんの方は小生と同級生であるが、これからの余生に必要な資金を確保して、その余剰分は旅を楽しみたいとのことであった。何ともリッチな老後である。

 せっかく興居島に来たので、紹介された小富士山に登ることにした。
 282mの低山であるが、対岸から見た形はよかった。

 登山道は整備されているが、かなり荒れた箇所もあった。また蜘蛛の巣があちこちに張っていて、それをよけながら登っていく。40分ほどで山頂に着いたが、山頂も樹木に覆われ、かなり荒れ果てていた。
 少し先まで進むと、見晴らしが効く展望所があって、絶景の海が見渡せた。

 下山は早かった。25分ほどで、無事下山。

 時間が早かったので、このまま恋人峠まで歩いてみることとした。
 15分ほどで峠着。
 ここは、映画のロケでもよく使われる場所で、2015年には、AKB48の横山由衣さんの「9つの窓」のロケがここで行われている。
 また、かってロケで訪れた俳優の大浦龍宇一さんが、平成24年の「遠くへ行きたい」の親子ロケの記念として、海岸で拾った石に絵を描いて、今でもここに飾られている。網でカバーされているが、絵は消えかかっていた。

 また、興居島には、寅さんシリーズで、第19作目(1977年)の「寅次郎と殿様」でも、寅さんが興居島に向かうフェリーに乗船し、厳島神社で長靴の売をするシーンがあった。(旅の前日にこの シーンをDVDで確認していおいた。)
 旅先で知り合った「まり子」さんが、実は殿さまが探していた亡くなった息子の嫁であったという感動のシーンを思い出す。

 山内さんに恋人峠に来ている旨の電話を入れると、ここで待つようにとのこと。ご主人が 車で迎えに来てくれた。
 座り込んで、ミカンを食べながら、しばしご主人の話を聞く。
 この峠の材木等は全て流木の利用で、島の住民が運んできたとのこと。 
 また、松山の花火大会がある時は、家から十分に堪能できるとのこと。
 かっては、中学校が1校と小学校が2校あったが、今では小中学校が1校になった。しかも、松山市内の方から小学生が通ってきてくれて、やっと学校が維持できているとのこと。
 そういえば、福岡市でも能古小学校にはかなりな小学生が島に通学に来てくれていた。

 車に乗りこんで、島を一周する。行き交う車は少ない。

 かなり荒れ放題のミカン畑が目立つ。後継ぎがいないので、放任されたままになっているようだ。
 ミカンは、除草剤と肥料を各々年に3回、他に、適宜農薬の散布も必要とのことで、かなりな体力を要する。
 手入れされているミカン畑には、袋がけのものもあった。かなり高級なミカンであろう。

 島を一周して山内家に戻り、お茶で休憩する。
 しばらく話し込んで、次のフェリーの時間を確認すると、16時10分とのこと。後、20分しかない。
 ウニの瓶詰やミカン等のおみやげを多数いただき、急ぎ別れを告げて港に小走りで行く。

 高浜に戻り、荷物を引き出して、三津駅へ。駅から歩いて15分ほどで三津港へ。
 
 17時35分発のフェリーに乗りこみ柳井へ。
 船外に見事な夕焼けが広がっていた。海で見る夕焼けは一段と旅情を高めてくれる。

 20時10分柳井着。 船着き場のすぐ前にJR柳井港駅があった。無人駅で、チケットの自動販売機のルート図にない駅までのチケットは車内か降りた駅で購入の事と案内があった。

 20時50分にJR柳井港発にて徳山へ。駅構内でチケットを購入する。まだ売店が開いていたので、ここでおみやげと弁当と缶ビールを調達して、新幹線に乗り 込んで21時49分発、 早速、弁当を開く。随分と遅い夕食になったものである。ビールのつまみ用に買ったので、ご飯は全て残した。

 現役の若い頃は、とにかく出張が多かった。不便な離島や、JRで遥かな宮崎市、日南市や鹿児島方面など、皆があまり行きたがらない遠方などは、積極的にその出張を引き受けていた。おかげで年間の出張日数が100日を超すこともあった。思えば 学生時代から旅が好きだったようだ。
 週末に鹿児島へ出張した時は、私的に1泊延ばして、指宿に泊まり、開聞岳に登ったこともあった。
 小生が現役を退職する頃には、出張先で私的な行動をする場合には、帰りの旅費は支給しないとなったが、昔はおおらかで、職場にもゆとりがあったように感じる。その証拠に、この頃には、メンタルヘルスといった言葉を聞いたこともなかった。

 22時33分に博多駅に着いた。かなり遅くなったので、恐縮しながら女房に電話して迎えを頼み、23時過ぎに無事自宅に帰り着いた。

 今回は当初は石鎚山に登る予定であったが事情によって、「松山ぶらり旅」となってしまった。しかしながら、久しぶりにカリブ海クルーズ旅での旅友と再会し、旧交を温め、充実したぶらり旅となった。

 さて、九州で、改めて紅葉の山旅に出かけることにしよう。


 ※ 最後の3枚は手持ちの石鎚山の紅葉の写真である。
   なお、旅友との話がはずんで、山内姉妹の写真を撮り忘れていた。残念!