〜〜〜   四 王 寺 山   〜〜〜 
≪ 令和3年1月31日 (日) ≫


 
≪ 1月31日(日) ≫
 
 
 今年最初の山は福岡地元にある「四王寺山」にした。

 これまでは誰でもが登れる里山といったイメージがあって、なかなか山旅の対象にならなかった山であるが、先日、新聞で紹介されていた記事を読むと、なかなか歴史も深く、魅力的な山であることが分かったので登ることにしたものである。

  「四王寺山」というのは通称であって、ピークは「大城山」(大野山)であるが、天智天皇4年(665年)には「大野城」が築造され、更には奈良時代の宝亀5年(774年)に「四王寺(四王院)」(持国天、増長天、広目天、毘沙門天を祀る)が創建されたことから「四王寺山」 (大城山、岩屋山、水瓶山、大原山の4山の総称)と呼ばれるようになった。戦国時代には岩谷城が築造され、古来より連綿と続く歴史ある山である。

 また、この山には33もの石仏があり、これを巡るマップも準備されている。

 今回は、大宰府政庁舎跡の駐車場に車を止めて、ここから登ることにした。

 8時25分自宅発、同55分に駐車場着、山支度を整え (女房が冬登山には欠かせない物を家に忘れてきていた。朝の風が少々冷たいが、今日は気温が15℃まで上がる予報なので、このまま登ることにした)、 「令和」で一躍有名になった「坂本神社」で参拝をすませて、民家の間を抜けていき、登山道に入る。

 まあまあな登りであるが、快適な登山道である。気温の上昇と共に、少し汗ばんできたので、セーターを脱ぐ。

 やがて、大原山への分岐点に出たが、そのまま直進し大城山を目指す。

 更に進むと、一般の登山道と階段状の道との分岐点に出た。後で調べると、階段状の道は九州自然歩道であった。

 沢沿いの登山道を登っていく。

 やがて、大石垣に出た。台風で荒れたために修復されていたが、山城の名残である。

 そのまま登り続けると、幅広い遊歩道に出た。
 ここで地図を確認していると、地元の女性なのか、この山に詳しい方が色々と方向を教えてくれた、よって、この女性がお勧めのルートである遊歩道を左手に進んでいく。

 直進すると子供の国から県民の森センターに出るが、「福岡県の山歩き」の本では、一旦このセンターに向かい、そこから大城山に登るコースが紹介されていたが、この女性によるとこのコースは結構なアップダウンがあるとのことで、遊歩道コースにした。

 28番札所には展望台が設置されていたので、ここで小休止する。
 この山も人気のようで、行違う人々も多い。

 ここからしばらく進むと、また展望のいい場所に出た。ここから眼下に大野城市が広がり、その右手にははるかかなたに福岡市が望めた。福岡の高層ビルから、博多湾、志賀島も確認できた。

 更に進むと、毘沙門天に着いた。参拝を済ませて、左手の小高い丘を登ると、そこが大城山の山頂であった。
 ここまででちょうど2時間かかっていた。

 三脚を据えて、記念の写真を撮る。

 ここからは、県民の森センターを目指す。直進すると「野外音楽堂」との案内があったが、右手のセンターを目指す。

 結構な下り勾配で、ここを登るのは大変だろうなというくらいの傾斜であった。遊歩道に出た時に女性からのアドバイスをいただいてよかったようだ。

 「このまま下り続けると、センターまでの登りが厳しそうだね!」と女房と話をしていたが、車道に出て、そのままこの車道を降りていくと、そこがセンターであった。全く意外な到着であった。厳しい登りが無くて本当に助かった。

 12時前にセンターに着いたので、ここの池の淵で昼食タイムとする。
 女房が温かいコーヒーを準備してくれていたので、これを有り難くいただく。

 今日は春の日差しで、冬山としては最高の登山日和であった。

 センターから子供の国へ。遊んでいる家族連れは2家族で、皆、コロナ下の外出を控えておられるようだ。

 子供の国から、大石垣方向へ。石垣までは170mとの案内があったが、来た時の大石垣はここからそんなに近くにないので、別の石垣かなと疑いながら登っていく。

 登り詰めて遊歩道に出て驚いた。ここが来た時に女性から色々と教えていただいた地点で、まさに感動の一瞬であった。

 ここから大石垣までは240mとの案内があったので、子供の国にあった大石垣までは170mというのはここまでの距離であったようだ。     

 ここから登ってきた道を戻る。下りは順調で、13時過ぎに駐車場に戻ってきた。

 山支度を解いて、車に乗りこみ、14時前に無事自宅に戻ってきた。

 「四王寺山」、・・・なかなかに楽しめる山であった。

 


登り  ; 2時間00分   下り : 1時間30分(センター経由)