【    白   山   】   2,702m


〜平成29年7月27日(木)〜

 今年の日本アルプスは、南アルプスの鳳凰三山を予定していたが、 旅行社から、「最小催行人員(15名)に達せず中止する。」との連絡があった。
 よって、他に候補を探していると、日本アルプスではないが、開山1300年に当たる白山登山のツアー企画があった。
 白山は日本三霊山(日本三名山とも称される)に名を連ねる名山であり、富士山、立山には既に登ったので、白山に登ると日本三霊山踏破となる。よって、今年の山はこの加賀の霊峰・白山に決めた。

 白山は越前の僧・泰澄が、717年(養老元年)に初めて登ったとのことで、今年が開山1300年目に当たる。
 白山は開山以来、神と仏が共存する修験の場として栄えるが、同時に高山帯を持つ山としては日本最西端に位置するため、生物分布の研究においても重要であった。 「ハクサンイチゲ」や「ハクサンコザクラ」などなど、「ハクサン」との名を冠とする植物が数多く存在するのもそのためである。  

 7時半過ぎに集合場所である博多駅ひかり広場へ。
 クラブツーリズムの添乗員はアベさん、白馬の時に同行したが、アベさんはあまり記憶にないようだった。白馬の時は、メンバーが4名(催行決定した後にキャンセルが多数でたため4名となったもの)に添乗員1名、山ガイド2名 と計7名での少人数の山旅になったが、 このような少人数のツアーであったにも係わらず記憶にないとは驚きであった。しかも平成26年のことである。 

 8時33分発のひかりに乗り込み、新大阪へ。
 今回のメンバーは小倉からの2名を加えて計10名で、2組のご夫婦に、女性2名、男性4名の一人旅である。

 横に座られた古賀市から参加の峰岸氏は、トライアスロンからフルマラソンまで参加されているつわものであった。
 11時過ぎに新大阪着、在来線のサンダーバードに乗り換え、峰岸氏とトライアスロンから健康管理の話までしているうちに、45分遅れで14時前に福井に着いた。

 しばしフリータイムの後、14時半にホテルのバスに乗りこみ白峰温泉へ。
 バスの中にて、宇部市の浅上氏、熊本市から参加の甲斐氏と挨拶を交わす。
 途中、道の駅に立ち寄って、16時にホテルに着いた。

 浅上氏と同室となる。早速温泉へ。
 まだ先客は誰もいなかった。最近宿泊ホテル等で貸し切り状態となることが多いようだ!

 温泉から上がって、早速缶ビールを飲む。風呂上がりのビールは最高である。
 浅上氏は田んぼをもっておられ、自分で食べる分以上に米を作られているとのこと。

 17時40分にロビーへ。
 山ガイドの宮西さんがこれからの予定を説明される。明日からの2日間は天気はあまりよくないようだとの説明であるが、晴れ男を自称する小生としては、何とか雨に合わず、しかも日の出も期待することとしよう。

 大広間での食事となった。イワナの串刺しがテーブルの中央のコンロで塩焼きにされている。頭から丸かじりでうまかった。引き続き、各種の串焼きを楽しむ。既に缶ビールを飲ん でいたので、生ビールは1杯にとどめる。満足の食事であった。

 部屋に戻り、今日のニュースを確認していると、蓮舫氏の代表辞任と合わせて、稲田大臣も辞任の意向とのニュースが流れている。
 最近は、モリカケ問題から稲田大臣の防衛省内の問題等々、何とも重苦しくて、うっとおしい事態が継続している。

 山間の静かな山宿で、川のせせらぎを聞きながら、また明日からは霊峰登山に専念し、しばし俗世間から遠ざかることとしよう。

   

〜平成29年7月28日(金)〜

 3時50分に起きる。
 4時に弁当を受け取り、部屋で食べる。おにぎりは2個食べ、1個は残す。

 5時にホテル玄関へ。ホテルバスにて別所出会へ向かう。
 市ノ瀬から先へは本来シャトルバスしか入れないが、特別にシャトルバスの後について別所出会へ。

 トイレを済ませ、ストレッチをして、更に記念の集合写真を撮って、6時7分に登山開始。砂防新道を登っていく。
 雲が張りつめているが、直射日光を浴びながらの登山よりも楽なようだ。 
 7時ちょうどに中飯場に着いた。小休止し、また黙々と登っていく。登山道には石が敷き詰められ、登りやすい。8時50分に甚之助避難小屋に着いた。ここまで順調である。

 中学生のグループがいたが、キャンプのために、ザックがかなりの大きさに膨れ上がっている。男の子のザックを片手でぶら下げてみると、20kgは越しているようだ。男の子は僕の体重は30kg少々しかないけれどとのこと。何とも逞しい中学生達であった。

 ここまでの登山道でも、オタカラソウや、ハクサンフーロなどなど、多数の高山植物の花を楽しみながら登ってきた。
 途中、下山してくるクラブツーリズムの大阪組に出会い、ひときわ賑わった。

 10時50分に黒ボコ岩に着いた。ここまで登ってくれば、白山室堂までは、あと一息である。
 ここでも下山してくるクラブツ−リズムの東京組にあった。さすがに人気の山である。

 11時5分出発、38分に室堂の山小屋に着いた。
 少々ゆっくり過ぎる登山とみていたが、休憩を含めて5時間半の所要で、まずまず順調な登山で会った。

 山小屋で昼食となる。
 カレーからラーメン等のメニューがあったが、ビールを飲みたいので、チャーシュー麺にする。
 一人参加の男性4人でミニ宴会を始める。

 昼からは宮西さんが周辺を案内するとのこと。しかしながら、せっかく霊山に登ってきて、この時間を大事にしたいので、小生は遠慮することにした。

 食後、周辺を散策して、クロユリの群生美等を堪能した後、誰もいない広場のベンチに座って、芹洋子さんの「穂高よさらば」を聞く。
 若い女の子が一人で広場の片隅に設けられた標識を確認にきた。しばらく標識を見ていたが、その内に黙って去っていった。
 後には、秋を感じさせるようなさわやかな風が吹き抜けていった。

 小屋に戻り、レストランでまた缶ビールを飲みながら、持ってきたコピーに目を通す。

 白山にまつわる文学作品は多々あると思われるが、「文豪が愛
した百名山」では、高橋治氏の「風の盆恋歌」が紹介されていた。もの悲しい三味線や胡弓の音が、二人の行く末を暗示する・・・大人の恋の儚さを比類なき美しさで描いた名作である。

 この作品の中に、「一面の青田の遥か彼方に、白山連峰が見えた。」、「八尾は山地が平野に下るその境にある町だが、白峰は白山山頂を間近に見る山あいの村なのだ。」と表記されている。 

 この八尾の「おわら風の盆」の祭りは、毎年9月1日から3日まで行われるが、高橋治氏が1985年にこの作品を発表して一躍有名になり、1989年には石川さゆりさんが「風の盆恋歌」というシングルを出している。このため、もの悲しい三味線と胡弓の音で幽玄の世界に浸る祭りが、今では祭りの最中には20〜30万人の人出となっているため、地元の方々は、昔の情緒がなくなったと嘆いておられるとのこと。
 ちなみに、コミック「専務島耕作」でも、島耕作が寿司屋の女将を訪ねてこの町に来ていて、この際の祭りの様子が描かれている。 

 16時40分になって、ロビーに並び夕食へ。
 これまでの山小屋では、団体で席がセットされていたが、ここは席はフリートのこと。

 隣に座られた長崎から参加の吉岡夫婦と話をする。吉岡夫婦は地元の山の会に所属され、毎週金曜日に山登りをしているとのこと。
 なお、みやま市から参加の椛島夫婦はやはり山の会に所属され、九州の山々を登っておられる。女性一人参加の大分市の利光さんは月一の登山を楽しんでおられるが、実家は久住にあるとか? 何ともうらやましい話であった。
 もう一人の嶺岸さんは、大野城市からの参加で、若い頃に、日本アルプスの名だたる山々を踏破したとのこと。何ともたくましい女性登山家であった。

 人それぞれにこれまでの人生があって、この出会いも楽しいものである。

 食事を終えると、山小屋では何もすることがない。部屋では、2階席に他のグループの登山客もいるので、あまり長話はできない。

 明日の早朝登山用の荷物を整理して、表に出てヨガ体操をして部屋に戻り、早々に休む。    


〜平成29年7月29日(土)〜

 3時20分起床、 ご来光登山の支度を整えて小屋の外へ出る。

 白山比メ神社から太鼓の音が聞こえてきた。日の出の1時間前に太鼓を叩くという。
 1980年の8月22日から23日にかけて、皇太子殿下が雨の中を登頂されているが、その時はこの神社の参籠(祈祷)殿に入られ、翌日、登ってきた砂防新道を下山されている。

 神社で安全登山を祈願して、4時前に出発、真っ暗な中をヘッドライトを頼りに整備された登山道を登っていく。山頂までヘッドライトの列が続いている。
 しばらくすると神社の神主さんが下駄ばきで追い抜いていかれた。 

 40分で登頂、追い抜いていかれた神主さんが、岩の上で白山や周辺の山々等々の説明をされている。まだ日の出前であるが、既に薄明るい。 日の出時には、皆で万歳三唱するので、フライングしないようにと念をおされた。
  
 5時過ぎに雲の合間から太陽が顔を出し、神主さんの音頭で万歳三唱する。
 山頂の登山客が一体となった一時であった。

 三角点から御池や大汝峰を確認して下山開始。御前峰の標識の前には記念写真用の長い列が出来ていた。
 
 下山中に、甲斐氏が足をひねられた。かなり痛そうである。何とか小屋に戻り、手当をする。
 食事を済ませて、部屋でまた甲斐さんの手当をする。ガイドの宮西さんが、通常では手に入らない湿布薬やテーピングテープを持たれていた。後から聞くと、元 医療職に携われていたとのこと。
  
 7時に集合し、下山開始。
 甲斐氏が忍耐で痛みをこらえ必死に歩かれている。相当に強い精神力の持ち主である。

 それでも、このままだと時間がかかりそうなので、添乗員のアベさんと9名が先行することとし、ガイドの宮西さんと甲斐氏が後から下山されることとなった。

 黒ボコ岩で小休止し、9時ちょうどに甚之助避難小屋着。ここまで順調な下山である。
 10時50分に中飯場着、小休止し、11時出発、11時35分に別当出会着、更に10分ほど歩いてバス駐車場へ。
 ホテルのバスに乗りこみ、温泉へ向かう。

 13時前にホテル着。荷物を整理して待望の温泉へ。
 温泉につかると疲れも一気に吹き飛ぶようだ。

 温泉から上がって、早速、浅上氏と生ビールで乾杯する。
 その内に全員がそろい、改めてまた乾杯する。2杯目の生ビールを飲む。  

 しばらくすると、甲斐氏も無事降りてこられた。下山してきた時にバスが出たばかりであったので、宮西さんがヒッチハイクをして、青年にホテルまで送ってもらったとのこと。この機転のおかげで無事間に合った。

 なお、甲斐氏の話によると、宮西さんがロープでお互いの身体をつなぎ、平坦な道では後ろ向きに歩いて足の負担を軽くすることができたとのこと。宮西さんのおかげで無事下山できたようだ。

 再びホテルのバスに乗りこみ福井駅へ。
 30分ほどフリータイムがあったので、コンビニでおみやげと、ワインとつまみのチーズを調達する。紙コップとおしぼりをサービスで6個づつつけてもらった。

 16時44分発のサンダーバードで大阪へ。
 早速、車内でワインパーティを始める。 

 隣席の峰岸氏は健康管理をされているために、あまり勧められないが、一応乾杯する。
 峰岸氏は、来月には北海道マラソンに参加し、その後、羊蹄山に登ってくるとのこと。何ともリッチな旅ではないか!

 新大阪で新幹線に乗り換え、19時5分に出発する。
 浅上氏は新山口で下車、利光さんは小倉で下車、残りが博多へ。

 21時17分定刻で博多駅着。皆と別れを告げて、地下鉄へ。女房の迎えの車に乗りこみ自宅へ。22時過ぎに無事帰宅した。

 今回は、山ガイドの宮西さんの話では天気が荒れ模様で、ご来光は無理であろうとのことであったが、無事ご来光を拝むことができ、雨にも会うことがなかった。

 これで、富士山と立山に続けて、今回白山に登り、無事、日本三霊山踏破となった。

 更に、秋の紅葉登山として、日光の男体山ツアーに申し込んでいる。
 今から、日光のイロハ坂の紅葉を楽しみにしている。
 

 登り  : 6時間10分  下り : 5時間00分