〜平成18年8月3日(木)〜
今日からH交通社主催の富士登山ツアーに参加する。
福岡空港集合6時55分、7時55分ANA212便にて中部国際空港へ。9時10分中部国際空港着、ここからバスに乗り換えて、東名高速を走る。浜名湖
SA着11時ちょうど、ここで昼食をとる。11時50分出発、富士川SAで休憩、富士ICで高速を降りて139号線を走る。朝霧高原
にあるドライブイン「もちや」にて休憩、残念ながら富士山は雲に隠れて見えない。15時に富士スバルラインへ入る。雲に隠れて見えなかった山容が、4合目くらいでやっと見えた。雨
に濡れたのか、溶岩瓦礫の綺麗な赤色が際だって見え、どうだと言わんばかりの堂々たる山容であった。これからの登山に益々期待が膨らんでくる。
15時40分無事富士五合目に着く。登山に不要な荷物はバスの中に残しておき、登山の準備にかかる。いよいよ富士登山開始である。
今回ツアーのH交通社添乗員は「嶋田」さんという若い女性。富士登山は3回目だという。今日は3時に起きて熊本から来たとのこと。
このような富士登山ツアーの添乗員さんも大変だ。
バスガイドはA交通の「宮久保」さんというベテランのガイドさん。とにかく知識が豊富であり、語り口も歯切れがよく、耳に心地いい。日本に霊山は多いが、日本7霊山と称されるのは『富士山、立山、木曽御嶽山、大峰山、大山、釈迦岳、石鎚山』の7山で、これらは全て7月1日が山開きになると紹介されていた。日本3霊山でインターネット検索すると『富士山、立山、白山』と記載がある。7霊山に白山はどうなっているのか。
ツアーには色々な方が参加されている。参加者総員は18名。
今回夫婦連れは我々を含めて2組のみ。親子(父と娘)での参加が1組、女性姉妹での参加が1組、男性二人連れが1組、後は女性で一人での参加が4名、男性も同じく4名という構成になっている。
特徴的な人物紹介! 今年還暦を迎え、その記念登山という方が18名中4名、女性は瀬戸口さん、小野さんの2名、
と男性は矢野さんと小生の2名。
男性一人で参加の吉田さん、なんと今日が80歳の誕生日とのこと、戦後の引き上げも今日だったとのことで、8月3日は何かと記念日であると言われていた。かっては大学の教授をされ
ていたようで、退職後は津和野で農業をされているとのこと。
父と娘という組み合わせで参加された有田さん親子、「旅費を出してやると言ったら来てくれた。」との父親談。結婚を間近に控えられた父思いの娘さんの影の声、「父もこの年になってもまだ孫もいないので
、寂しいだろうと思ってついてきてやった。」とのこと。
女性一人での参加の小嶋さん、68歳であるがメンバー中最も元気がよかった。帰ったら今度は宮崎に行き、マラソンに参加するとか、ハワイのホノルルマラソンにも行ったことがあるとのことで驚かされる。ストックも持たずひょいひょいと登られていた。
若い女性一人での参加の安田さん、昨年は一人でスケジュールを組んで屋久島・宮之浦岳に登ってきたとのこと。荒川静香似の可愛い顔をされているので見かけからは計り知れない、何とも頼もしい方である。将来の今井通子さんか。
登山のガイドは伊藤さんという、8合目にある山小屋「太子館」所属のガイドさんである。26歳の学生さんであるが、ガイド歴は長く、ベテランぶりを発揮されていた。シーズン中は20回くらい山頂まで登るとのこと。ゆっくり登山とはいうものの、ほぼ全員(一人だけ
「太子館」止まりの方がおられた)が登頂できたことは、伊藤さんの功績である。
16時30分集合。登山に当たって注意事項とこれからのスケジュールの説明がある。17時ちょうど、いよいよ登山開始となった。今日は7合目にある山小屋「花小屋」を目指す。
しばらくは、広い道を下っていく。両サイドには「オンタデ」や「フジイタドリ」などタデ科の植物が多い。ダラダラ下りからいよいよ道も登り道にな
り、木立の中を歩いていく。
17時47分、6合目着。ここで富士吉田警察署「富士山登山者のみなさまへ」という吉田登山道ルート案内図と注意事項を記載したメモを渡される。
10分ほど休憩して出発する。左手に「影富士」ができているのが見える。7合目の山小屋群が上に見える。花小屋は最も手前の山小屋になる。
女房が話をしなくなる、話しかけても返事をしなくなった。後で聞くと、酸素が薄くなってきつくなったらしい。これから山頂にかけてますます薄くなるがこのような調子で大丈夫だろうか。
少し心配になる。
19時15分、無事「花小屋」着。
小屋での注意事項の説明があり、更に明日の案内、ご来光は4時50分、出発は5時40分とのこと、それから寝るところに案内される。さすがに狭い。
夕食はハンバーグと野菜、味噌汁。ご飯はお代わりもできる。
食後を済ますと、後は何もすることもないので、外へ出てみる。既に相当寒くなっていたが、次から次にヘッドランプをつけた登山者が登ってきていた。「ここで休憩
です」と言ってガイドが叫んでいた団体もいた。山頂でのご来光目的の登山であろう。
部屋に戻り、すぐ横になる。しばらく映画音楽を聞いていたが、疲れを感じたので寝ることにする。明日も朝が早い。
※ 本日の総歩数 : 11,890歩
〜平成18年8月4日(金)〜
3時30分過ぎにごそごそと音がする。女性の方々が早くも起き出してお顔の手入れ中。それを横目に見て、もう少し横になっておき、それでも4時に起床する。4時半に外へ出てみる。山小屋の人の談によると、今年5指に入るご来光になるとのこと。そのとおりの見事なご来光を拝む。
5時過ぎに朝食。焼いたしゃけ、こんぶ、のり、ふりかけ、梅干し、漬け物、味噌汁といったメニュー。5時45分出発、これから8合目にある山小屋「太子館」に立ち寄り、ここに不要な荷物を置いて、更に山頂を目指す。岩がごつごつした所を登っていく。
ストックよりも、手をついて登った方が楽なような岩道である。
6時10分、「鎌岩館」着、小休止。まだ7合目との表示。
6時45分、赤い鳥居があり、その名も「鳥居荘」に到着、小休止。まだまだ7合目。左方向に南アルプスの「甲斐駒ヶ岳」、「仙丈ヶ岳」等の山並みが、またその右手に「八ヶ岳」が、正面(北方向)には「金峰山」、「甲武信ヶ岳」等の山々の頂が雲を突き抜けて聳えている。富士山ならではのなかなかの絶景である。
7時ちょうど、「東洋館」着、小休止。
8時ちょうど、本日宿泊する「太子館」着、やっと8合目になる。ここで着替えや洗面具等の不要な荷物は置いていく。昼食用に赤飯のレトルトパックとカロリーメイトを受け取る。
8時40分出発、9時30分、「白雲荘」着。小休止。
9時55分、「元祖室」着、小休止。10時40分、「トモエ館」着、小休止。ここは本8合目とのこと。案内板には山頂まであと1km、60分との表示がある。11時20分、「御来光館」着、小休止。
13時10分、山頂着、やっと山頂に着いた。食事をし、小休止して山頂の景色を楽しむ。女房は
少し疲れて寝ている。でもここまでよく頑張ったものだと声に出さずに誉めてやる。
13時50分、これから山頂火口回りを歩く「お鉢巡り」に出発する。女房も行くという。
お鉢巡りは1周3kmあり、普通に歩いて1時間半ほどで回れる。時計回りで行くと、一番の難所は「剣ヶ峰」にたどりつく
直前の「馬の背」部分になる。
14時30分、「富士館」着、小休止。ここには「山頂浅間神社」や「山頂郵便局」もある。安全を祈願し、更に、ここから自分宛に登頂記念の葉書を出す。14時50分、出発。
15時15分、富士山の最高峰である「剣ヶ峰」に着く。ここは最後の「馬の背」部分が、急斜面の瓦礫の登り道で結構大変な道であ
る。左側にある柵を持ちながら登らなければ、ずるずると滑り落ちてしまいそうである。
ここには主に台風観測を目的に設置された「富士山レーダー」があった。1964年の設置で、当時気象庁に勤めていた新田次郎が工事の模様を詳細に「富士山頂」という小説にしている。その後、台風の観測等は気象衛星や新気象レーダーに譲り、富士レーダーは平成11年に廃止されている。小説を読んだのは学生時代であり、この地点を懐かしく感じる。
お鉢の一部に雪が残っていた。結構気温も高いのに、よく残っているものだと感心する。
16時10分、「お鉢巡り」無事完了。
16時25分、いよいよこれから下山開始。ガイドの伊藤さんがゴムの膝バンドを貸してくれる。
下山道はブルドーザーが通る道を下っていく。かの有名な「砂走り」ほどではないが、結構砂埃が立つ。よって、マスクもして下山する。
17時45分、「太子館」着。途中2回ほど小休憩したものの、ほぼ一気に下山道を降りてきた。
山小屋からペットボトルの水とブラシを借りて、埃りを払い、汚れを洗い流す。
夕食は、カレーに、鯖の煮付け、ミンチボール、野菜サラダ、漬け物、味噌汁、ドライフルーツとお菓子もついていた。勿論、ここでもご飯のお代わりは自由であった。
食後、明日の準備をして横になるも、部屋の中が妙に暖かく、日焼けで顔がほてり、落ち着かない。外へ出てみる。外はさすがに少し肌寒い。
まだまだ、登山者が次々に登ってくる。中にはノースリーブの女性もいた。小屋にいた皆が「オー!」と叫ぶ。その女性は「え、何かおかしい?」と笑っていた。さすがに富士山、色々な人が登ってくる。
部屋に戻り、そのまま横になる。明日は下山するのみである。
※ 本日の総歩数 : 18,170歩
〜平成18年8月5日(土)〜
起床、3時50分。身支度をして荷物を持って降りる。4時40分集合、今日は
ご来光を見てそのまま出発することになっている。
今日も見事なご来光であった。少し間を持たせたようなご来光で、「今日は駄目かな」という声も出ていたが、昨日とは雲の様子が異なり、違った趣があった。
下山はただ下るだけである。どこまでも下っていく。途中、小休止を取りながら下っていく。時々、よく滑る場所があり、少々神経を使う。ひざにはガイドの伊藤さんが準備してくれたゴムのバンドを締めている。この効果なのか膝は何ともない。
7時50分、無事5合目に着いた。
1昨日、ここに着いた時、何となく懐かしいものを感じたが、今日もなお一層その感が強い。
ここで山ガイドの伊藤さんと分かれ、山の装備を解いて、バスに乗り込む。伊藤さんはこれからまたツアー客を案内して、登っていくという。そのタフさには感心する。
8時30分出発、まだ8時30分である。スバルラインを降りて、9時30分、「富士緑の休暇村」に立ち寄る。ここでお風呂に入り、昼食をしていく。
3日ぶりに風呂に入り、汗と汚れを流す。ひげを剃り、歯も磨く。やっと、すっきりした感じである。
11時から少し早めの昼食、生ビールがおいしい。一気に飲み干す。更に地ビールを飲む。
皆、いい顔をしている。無事、富士登頂を成し遂げて、満足げな様子である。
還暦記念登山の面々と乾杯する。
11時45分出発、さっきまで見えていた富士山は夏雲のせいでもう見えなくなっている。よって、ガイドさんが景色がいい「本栖湖」に立ち寄ってくれる。ここからの富士山もいいらしいが、今日は湖だけの景色を楽しむ。
東名高速道路をひた走り、13時55分、「牧之原SA」着、小休止。15時20分、「美合SA」着、小休止。16時ちょうどに知多半島道路に入り、りんくう線から空港に向かう。16時20分、無事中部国際空港に着いた。
ここでバスを降りて、ガイドの宮久保さんにお礼を言って別れる。
空港での手続きを済ませ、添乗員の嶋田さんにもお礼を言って、一応ここで自由解散状態になる。
少し、空港の景色を楽しみ、レストランに入り、ビールで乾杯する。女房もよく頑張ったものだと思う。どこかの山小屋どまりになることも覚悟していたが、立派に「あ鉢
巡り」まで達成したことは見事である。
19時45分発、ANA235便にて福岡へ。上空から見た福岡夜景も綺麗であった。
21時10分、無事帰宅した。
今回の登山は、還暦登山として、相当に前から計画していたものであるため、それだけに感慨深いものがある。
ガイドの伊藤さんのゆっくり登山のお陰で全く高山病も味わうこともなく、山頂を極めることができた。感謝申し上げたい。
明日は「富士登山駅伝」がある。これまでとはまた違った見え方になるのではないだろうか。
※ 本日の総歩数 : 16,210歩
山頂から出した登頂記念葉書は、無事8月7日に着いた。
〜 以下、インターネットにて確認したもの 〜
駅伝の他にも一人で走る「富士登山競争」もある。これは富士吉田市役所(標高770m)から山頂(5合目までのコースもある)を目指すもので、走る距離21km、標高差3,000m、制限時間が4時間半という厳しいもの。完走率は50%だという。今年の記録(2006年7月)を見ると、優勝者のタイムは、2時間32分40秒とのこと。恐れ入る。
一方、明日の駅伝は、「秩父宮記念 雲海を走る 第31回富士登山駅伝」と称し、サブタイトルに「その美しさはまさに至極、その過酷さはまさに究極」とある。御殿場市陸上競技場から山頂まで、46.97kmを6人、11区間(同区間は登りと下りは同じ人が走る)、走る距離は46.97km、標高差は3,199mというもの。(今年の優勝者は「群馬県山岳連盟」で、そのタイムは3時間49分37秒であった)
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