〜〜〜 日本列島・列車で巡る4つの名湯めぐり 〜〜〜
《 平成27年2月17日(火)〜21日(土) 》 |
〜 2月17日(火) 〜
我が家のクリスマスローズが順調に花芽を伸ばし、既に開花を迎えている。このクリスマスローズに見送られて我が家を出発する。
博多駅8時43分発の山陽新幹線「さくら」で大阪へ。今日はこれから「日本列島縦断・列車で巡る4つの名湯めぐり」のツアーへの旅立ちである。
参加者は15組30名、参加条件は夫婦二人で88歳以上というもので、JRの「フルムーン夫婦グリーンパス」を利用しての旅である
が、観光が全くセットされていない国内ツアーへは初めての参加である。
旅の案内パンフを女房が見て、「お父さん、これに行かない?」と言う。しかも「旅費は私が出すから!」とのことで二つ返事でOKした。
その代わりに、車中での駅弁やアルコール類は小生のへそくりで支払うこととした。
新大阪駅で乗り換えのため下車、構内で駅弁を調達する。酒のつまみには色々と味わいを楽しめる幕の内弁当が最高であるが、今回は地元色が豊かな駅弁にする。購入したのは
「焼肉じゅうじゅう亭」と「牛たん弁当」の2種。共にワインのつまみにいいかとの選択であった。
山陽新幹線「ひかり」に乗換え(このパスではのぞみ号、みずほ号への乗車は別途料金が必要)、東京へ。
車窓を通り過ぎる家並みを眺めながらワインをたしなむ。JRの旅もなかなかいいものである。
東京で長野新幹線「あさま」に乗換え軽井沢へ。軽井沢駅着16時14分、ここから今日宿泊の「草津ナウリゾートホテル」の送迎バスに乗り込み草津温泉へ。
雪景色の中をバスは走って行く。軽井沢も冬模様で寂しげであった。
このホテルは、75,000uの敷地を持ち、草津におけるリゾートホテルの草分け的存在である。
ホテルに着いてすぐにホテルのシャトルバスで「湯畑」へ。
草津節で知られる天下の名湯草津温泉は、恋の病以外万病に効くとされ、その効能では我が国一とされる。この湯畑は幅20m、長さ60mに及び日本一の湯量を誇っている。
源頼朝が入浴してその名を知られるようになったもので、格式も高い。
湯畑の回りの囲いの柱に、著名人の名が刻まれていた。「日本武尊」の名もあったのには驚かされた。
ホテルに戻り、早速、温泉へ向かい露天風呂に入る。積雪の上に更に雪が舞う。ここが草津の湯かと感慨ひとしきりであった。
温泉から上がって、バイキングの夕食である。飲み放題で1,600円とあったので、これにする。料理の種類が豊富であったが、酒も生ビールから、冷酒、白ワイン、赤ワインと飲み、最後にハイボールで締めた。
少々食べ過ぎ、飲み過ぎであった。
〜 2月18日(水) 〜
6時に起き、まずは温泉へ。温泉旅の至福の時が湯けむりの中にたおやかに流れる。
食事を済ませて、7時10分にホテル発、軽井沢駅へ。今日は北海道・函館の湯の川温泉に向かう。
軽井沢駅で名物の「峠の釜めし弁当」を調達して、長野新幹線「あさま」で大宮へ。更に、大宮駅から東北新幹線「はやぶさ」にて青森へ。
車窓を流れる雪模様を眺めながら雪見酒としゃれこむ。外は寒そうであるが車内は天国である。
新青森駅から「スーパー白鳥」にて函館へ。初めて青函トンネルを経験する。
15時前に函館駅着。旅館送迎バスにて湯元・啄木亭へ。
名前のとおり、ここ函館は石川啄木が過ごしたところであり、「我れ泣きぬれて蟹とたわむる」と詠んだ啄木の墓がすぐ近くの立待岬にある。函館は横浜と長崎とともに1859年・安政6年に開国していることから異国情緒あふれる街並みを有し、それが啄木を魅了したのか?
啄木亭は1,200坪の日本庭園を有する高級和風旅館で、11階の空中露天風呂が有名である。
ホテルフロントの女性に「今日は函館山の夜景観光は可能でしょうか?」と聞くと、「現在、ロープウェイが強風のために運休中で、もうしばらく様子を見て、観光をどうするかの決定がなされる
でしょう。」とのこと。
しばらくすると、我々を待っていたようにロープウェイが運転再開となった。
時間が早いので、荷物を部屋に置いてすぐに出かける。ホテル近くの市電に乗って五稜郭へ。
市電を降りて雪道を歩いていく。雪が深いところでは50センチ以上もあるようだ。
16時に五稜郭公園へ。しばらく散策して「箱館(函館ではない)奉行所」へ入る。ここは平成18年に着工し、4年後の22年に復元が完成したものである。その規模にも驚かされるが、
宮大工が携わったというその造りの素晴らしさも目を見張るばかりであった。見事な復元建造物であった。
17時近くに閉館時間になったので、ここを出て市電の駅に向かう。
ホテル着17時40分、フロントにて函館山の夜景観光の決行を再確認し、ツアーの申し込みをして部屋に戻り、すぐに夕食会場のレストランへ。
またバイキングの夕食であるが、今日は極く控えめに地ビール1杯だけに抑える。
仕上げの塩ラーメンが美味であった。ここは函館は塩ラーメンであるが、札幌は味噌ラーメン、旭川は醤油ラーメンで有名である。
19時40分ホテル出発、函館山からの夜景観光(1,850円)に向かう。函館山からの夜景は香港、ナポリと並んで、世界3大夜景の一つとされている。ちなみに日本の3大夜景はここと神戸と長崎といずれも港町である。
ガイドさんによると、17時の出発ツアーではロープウェイから展望台まで押しくらまんじゅう状態だったそうで、この時間はガラガラでラッキーであった。
ロープウェイで展望台へ。クリーンで見事な夜景が待ちかまえてくれていた。これほどの夜景が見えるとは期待していなかったので、感動の夜景観賞となった。
20分ほど夜景を楽しんで、またロープウェイで下に降り、バスにてホテルへ。
ホテルに戻って早速11階にある屋上温泉へ。冷えた身体が一気に暖まる。まさに至福の温泉タイムであった。
露天ぶろは狭かったが、ロケーションが最高であった。
〜 2月19日(木) 〜
朝起きて、まずは11階の温泉へ。澄みきった青空で、今日は天気がいいようだ。
8時にホテルを出発し、今日は函館朝市での海鮮丼の朝食である。
函館の朝市は約1万坪の中に600店舗が立ち並ぶ。その規模において日本一ではないだろうかというくらいに店の数が多い。
ホタテとシャケと蟹の身ほぐしの3色丼である。試食で食べた焼きタラバが最高であった。
朝市をブラブラしていると、市場のおばさんから「やっと日本人が来た。」と声をかけられた。中国人や台湾人が多いとのこと。この店ではアジア系観光客からあまり買ってもらえないらしい。
駅で名物の「豚肉弁当」と「にしん三昧弁当」を調達し、函館駅から、「スーパー白鳥」にて青森へ。
新青森駅から東北新幹線「はやぶさ」で東京へ。更に「こだま」に乗り換えて熱海へ。
ホテル・リゾーピア熱海の送迎バスにてホテルへ。ホテル着17時半。
海沿いのホテルではあるが、すぐ前を道路が走っていて、海岸には出られない。
まずは温泉に入る。かっては「東の熱海か、西の別府か」と称された。尾崎紅葉の金色夜叉で有名で、今はその海岸はなく人口海浜になっている。
かって、征夷大将軍に任じられた徳川家康が1週間、ここ熱海温泉に湯治に来ている。その後、毎日2桶の湯を江戸に運ばせたという。それほどに愛された熱海の湯であった。
今日は懐石膳で、ここでは生ビールから冷酒を楽しむ。
旅も既に3日が終わった。
〜 2月20日(金) 〜
6時に起き温泉へ。7時から朝食を済まし、7時40分出発、今日は熱海から一気に指宿まで向かう。
熱海駅で山陽新幹線「こだま」に乗って名古屋へ。「ひかり」に乗換え大阪へ。
新大阪駅から「さくら」に乗換え、一気に鹿児島に向かう。
新大阪駅で駅弁調達、「必勝出陣弁当」と「えび千両ちらし弁当」とする。缶ビールで乾杯し、その後冷酒を楽しむ。
車窓は、東北・北海道の真冬模様から冬〜初春模様に変わってきた。
なにしろ列島を縦断しているのだから、その車窓の移ろいも楽しめる。
博多を通り過ぎて、鹿児島着16時過ぎ。
九州新幹線は平成16年3月13日に新八代から鹿児島中央駅までが開通したが、それまでは博多までの山陽新幹線区間であったために、これが九州初の新幹線となった。
鹿児島中央駅で1時間ほど待って、指宿枕崎線で指宿へ。2両編成の列車である。
ちょうど夕方のラッシュ時であり、ツアー30名で座席を締められるのは、地元の方々にとっては大変迷惑な話であろうとふと思う。
指宿について、今日宿泊の「指宿フェニックスホテル」の送迎バスでホテルへ。
周辺は菜の花が咲き乱れ、春爛漫といった景色を醸し出している。一昨日は冬真っ盛りの中にいたと思うと、日本列島も広いものだと実感する。
ホテルは南国植物に囲まれた海沿いに位置しており、庭園の散歩コースも整備されている。
指宿は砂蒸し温泉として名を馳せているが、指宿市全体が温泉町という南国の温泉街である。砂湯は最高85℃の食塩泉に温められた砂を身体にかけて暖まる。10分もすれば汗が噴き出してくるが、その後の湯あがりの爽快感がいい。
部屋に荷物を置き、まずは温泉へ。ここにも砂湯があるが予約制となっていた。
鹿児島なので今日は最初から芋焼酎を飲む。お湯割りを頼み、別途お湯をもらう。うすめて飲むために焼酎1杯が2杯分になる。薩摩料理に焼酎がよく合う。
〜 2月21日(土) 〜
6時に起きて温泉へ。これで今回のツアーでの朝風呂も最後となる。露天風呂に入り、早朝のさわやかな空気に触れながら、温泉を楽しむ。
温泉三昧の贅沢旅であった。
食事を済ませて、朝の散歩をし、7時半にホテル出発。
山川駅から鹿児島へ。
鹿児島中央駅から「はやとの風」で吉松へ。吉松駅から「しんぺい号」で人吉へ。
この肥薩線は、かっては鹿児島本線であったが、海岸沿いのルートが開通して新たに鹿児島本線となり、こちらの路線は支線となってしまった。
しかしながら、1909年・明治42年の矢筈第一トンネルが開通した時は、門司から鹿児島までが1本のレールでつながったという画期的な事業で、矢岳第一トンネルの人吉側入り口には当時の逓信大臣であった山縣伊三郎の「天険若夷」の文字が、吉松側入り口には鉄道院総裁であった後藤新平の「引重致遠」の文字の石額が掲げられ、当時の難工事を労う心情が込められている。
また、この両名の名前をとって、観光列車が「しんぺい号」、「いさぶろう号」と銘々されている。
ツアー最後の駅弁は、百年の駅舎「嘉例川駅」の駅弁である「かれい川」を調達、しいたけと筍の炊き込みごはんに、ガネ(紅さつまいもの天ぷら)、みそ田楽、嘉例川コロッケ等、全て地元の産物で造った素朴な弁当である。冷酒を飲みながら、弁当を楽しむ。
吉松駅から真幸駅を過ぎると、日本三大車窓と言われる景色が広がってくる。韓国岳を中心とした霧島連山から、遠くには開聞岳が、手前にはえびの高原が開け、川内川が横たわる。まさに絶景であった。
人吉駅から「九州横断号」で熊本へ。熊本駅から最後の列車となる「さくら」にて博多へ。
5日間で函館から指宿まで、まさに日本列島縦断(しかも往復)という列車の旅であったが、不思議に疲れは全くなく、温泉を楽しみ、列車内での駅弁からビール、ワイン、冷酒を楽しみ、函館の最高の夜景も楽しめた。
また、新幹線の利用によって日本列島も狭くなったことを強く感じる。
女房が、今度はフリーで、7日間有効のフルムーンパスを使って旅をしたいという。
その内に検討してみることとしよう。
≪温泉考≫
日本には3,000を超える温泉地があり、これは世界最大である。
温泉効能番付の一番は草津温泉であるが、三名湯にはこの草津温泉に、有馬温泉、下呂温泉が加わる。
日本三大温泉と言えば、別府温泉に、熱海温泉、白浜温泉となるが、温泉街として見れば、白浜温泉に代わって箱根温泉が入る。
日本三古泉は日本書記によると、有馬温泉に、道後温泉、白浜温泉で、別に、道後温泉、白浜温泉の代わりに下呂温泉、別府温泉を加える説もある。
旅の楽しみは、その土地にただよう風土色・ローカル色を味わいながら、日常とは異なる景観に新たな感動を覚え、それが更なる未知への郷愁につながっていく。
また、日本ほど四季の変化に富んだ国は他にない。行く先々で四季折々の風景を楽しむ。日本に生まれた最高の幸せを感じる時であり、これほどの国に生まれたからには旅を楽しまない手はない。
そこに温泉があれば最高である。初めての土地に来て、しみじみと夕景を眺めながら露天風呂につかる。これほど至福の時はない。
湯から上がって、地元の産物をつまみに、地酒をたしなむ。これだけでも心躍る期待が高まる。
温泉に行くというと、何だか心が安らぐ思いがする。これは何故なのか?
要は、温泉に癒しを求めるからであろう。そこに家庭の風呂では味わえないものがあるためである。
温泉につかると「あー、極楽、極楽!」という言葉が自然に浮かぶ。まさに最高の癒しの瞬間である。
仏教の経典の一つに「温室洗浴衆僧経」というのがあり、この中に「温浴は七病を除き、七福を得る。」とある。まさに極楽という言葉が浮かぶ由縁であろう。
温泉という文字が文献に初めて公式に登場するのは、日本書記であるが、万葉集の中にも数多く温泉地が登場する。また各地にある風土記にも数多く記載されている。
かっての温泉地は共同浴場が多く、湯治が目的であった。その後、明治時代になって、温泉は湯治場から保養の場、慰安の場へと変化していく。
慰安と言えば、小生の若かりし頃は、年に1回の職場の慰安旅行が恒例で、とにかく温泉地によくいったものである。今はこの習慣もなくなったようだが、この頃は人間関係も親密度が深く、職場におけるメンタルヘルスといった言葉もなかった。これには温泉の効能もあったのではないか。
この団体旅行の受け入れによって、温泉施設が大型化し、リゾート化するに従って、温泉の湯量が不足し、一部の温泉で水を沸かして足していた温泉施設が問題になったこともあり、中には100%水道水の温泉もあった。
また、温泉水の不足で、これを循環使用し、衛生面で問題となって、レジオネラ菌による死傷者が出たこともあった。今では、循環水は塩素殺菌され、1週間に1回以上は温泉水を入れ替えることが義務付けられている。
こうして見ると、「源泉かけ流し」というのは大変貴重な温泉であることがよく分かる。出来ればこのような温泉を厳選して温泉巡りをしたいものである。
日本各地に有名な温泉があるが、今回のツアーで草津温泉に入ったので、日本三名湯は有馬温泉、下呂温泉に次いで全て経験したことになる。
今のところ身体の調子もすこぶる好調で、湯治にはまだ早いが、癒しのための各地の温泉巡りはをこれからも楽しみたいものである。
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